最近のほとんどがヒトを対象に実施された実証研究は、固体の生理状態が協力行動に影響を与えることを示している。つまり、固体の内的状態は協力するか欺くかどうかの意思決定に影響を与えている可能性が高い。しかし、協力行動に関連した生理的機序に関してはほとんど分かっていない。そこで、本研究ではコルチゾール水準の変化が野生のホンソメワケベラ(Labroides dimidiatus)における協力行動に与える影響を実証した。これらのベラは“お客さま”であるサンゴ礁に住む魚類がやって来ると皮膚上にいる寄生虫を取り除くといった協力行動をする。しかし、エネルギー需要的には“お客さま”の皮膚粘液を食べることを好み、この行動は欺き行動と言える。本研究では、成熟したホンソメワケベラのメスに(a)コルチゾール、(b)糖質コルチコイド受容体の拮抗薬であるミフェプリストン(RU486)か、(c)偽薬(生理食塩水)のうち一つを外部から投与し、その後45分間の掃除行動を観察した。コルチゾールを投与した効果は、ホンソメワケベラの欺き行動の存在を最初に報告した初期の観察研究と一致するものであった。具体的には、コルチゾールを投与されたベラは身体が小さい“お客さま”に対して胸ビレや腹ビレの掃除行動が増加していた。この行動は身体が大きい“お客さま”を惹きつける戦術的欺瞞であり、そうして寄ってきた“お客さま”の粘液を食べていた。また、糖質コルチコイド受容体を遮断されたベラでは、身体が大きい“お客さま”に対する戦術的欺瞞が増加していた。生殖行動といったエネルギー需要とコルチゾールの濃度レベルの変化がホンソメワケベラの行動パターンに影響を与えることから、コルチゾールは脊椎動物における協力行動に関連した一般的なメカニズムを担っている可能性が示唆された。
●文献情報
Soares, M. C., Cardoso, S. C., Grutter, A. S., Oliveira, R. F., & Bshary, R. (2014). Cortisol mediates cleaner wrasse switch from cooperation to cheating and tactical deception. Hormone and Behavior, 66, 346-350.
以下、ざっくり研究紹介。
- 海のお掃除魚として知られているホンソメワケベラ(Labroides dimidiatus)の欺き行動に関する研究です。私もお掃除魚として知っていましたが、こちらのお魚非常に興味深い生態を持っていることが明らかになりつつあります。
- ちなみにどんな魚?と思うかたがいると思いますので、画像検索してみました。おきなわ図鑑様のサイトにこちらの写真が掲載されていたので転載させていただきました。
図1 ホンソメワケベラの写真
- 動いている映像も探してみました。Youtubeからの転載です。
- 普段はサンゴ礁の自分のテリトリー(cleaner stationというらしいです)にやってきた魚(お客さま)の皮膚上にいる寄生虫やエラにある食べ残しなどを食べてくれる掃除屋として知られています。
- しかし、皮膚上の寄生虫よりもエネルギー価の高い“お客さま”の皮膚粘液を食べることを実は好んでいるそうです。そして、“お客さま”の身体に噛みついて皮膚粘液を食べるホンソメワケベラがいることが実際に観察されています。
- この行動は掃除をすると見せかけて皮膚粘液に噛みつくことから欺き行動と考えられています。
- もう一つの欺き行動として、“お客さま”の身体の大きさに合わせて協力行動と欺き行動を使い分けるといった戦術的欺瞞行動があります。これは身体が小さい“お客さま”に対しては誠実に掃除を行い、それを見ている周りのお客さまにアピールする行動です。そして、身体の大きな“お客さま”がやってきたときに、しめしめと噛みつき行動をします。
- 著者たちはこのような協力行動と欺き行動・戦術的欺瞞行動の生理的基盤を明らかにするために糖質コルチコイドの一種であるコルチゾールに着目しました。欺き行動はメスのみ見られ、生殖活動が盛んなときに観察されます。生殖活動が盛んな時期には一般的にコルチゾール濃度が高まるそうです。
- 実験は実際のサンゴ礁で行われています!ホンソメワケベラが生息するサンゴ礁に実際にダイビングして、以下の3条件の処遇を行いました。(a)コルチゾールの投与、(b)糖質コルチコイド受容体の拮抗薬であるミフェプリストン(RU486)の投与か、(c)偽薬(生理食塩水)の投与です。
- その結果、観察研究で見られていたように、生理食塩水を投与された群より、コルチゾールを投与されたホンソメワケベラは身体が小さい“お客さま”に戦術的欺瞞行動を示すようになっていました。そして、身体の大きい“お客さま”に欺瞞行動である粘膜の噛みつきを行うようになっていました。
- また、生理食塩水を投与された群より、ミフェプリストンを投与されたホンソメワケベラは身体が大きい“お客さま”に戦術的欺瞞行動を示すようになっていました。身体の大きな“お客さま”の方が皮膚上にいる寄生虫も多いため、ホンソメワケベラにとって価値のある顧客と言えるようです。そのため、より良い掃除を提供することで今後も利用してもらえるためには協力行動を示した方がよいことになります。その行動にもコルチゾールの分泌が関与しているのだろうと考察しています。
- 以上の結果から、ホンソメワケベラの協力行動と欺瞞行動の切り替えを行う生理的基盤はコルチゾールである可能性が示唆されました。
- ちなみにホンソメワケベラは他にも興味深い生態があります。ホンソメワケベラはオス1匹に対して複数のメスがいるハーレムを形成していますが、何らかの理由でオスがいなくなった場合にはハーレムの中で身体の大きなメスが性転換してオスになるそうです。
- また、ホンソメワケベラに擬態した魚にニセクロスジギンポがいます。こちらはやってきた魚の掃除をするのではなく、最初から粘膜や鱗を食いちぎって逃げていくそうです。写真を検索したところ、いずずきダイバー様のサイトに掲載されていたので、転載させていただきました。何とも欺瞞に関連の深いお魚といえます。
図2 ニセクロスジギンポの写真